今日は「おせっかい」について。
おせっかいと親切って、似ているようで違いますよね。
親切は喜ばれるけれど、おせっかいはする側がよかれと思っていても相手にとっては「ウザイ!」なんて嫌がられてしまうことも。。。
ウザイなんて思われたら、神様にも愛されなくなってしまう〜。これではいけません!
親切とおせっかいの違いについても、森先生が教えてくださっています。
このテーマ、「自分は親切な人」と思っている人ほど必見ですよ笑
この違い、気になりますよね~。はい、こちらが森先生のお言葉です。
おせっかいが親切と違う第一の点は、おせっかいの方にはどこか自分の「我」がつきまとっているということであります。
そこでこれを聞かされる側の人は、どこかうるさいと感じ、さらには嫌な感じがするわけです。あるいはまたしつこいと感じる場合もないはないでしょう。
我とは、ひとりよがり。自分勝手の考え。自分本位の考え。という意味ですね。「こうしたほうがいいわよ!」なんてアドバイスも、実は自分勝手な思い込みを相手に押し付けている、ということにもなりかねない。あちゃー!これはわかりやすい。そして、、これって知らず知らずにやっているかもしれない。。ですよね。みなさま、どうでしょうか??
それからおせっかいの問題として、
他の欠点以上に、自分には気づきにくいわけがあると思うのです。
それは何かと申しますと、とかくおせっかいをする人は、自分のおせっかいをおせっかいと思わないで、それを親切だと思い込んでいるからであります。
この点からしておせっかいというものはなかなか自分には気づきにくいわけであります。
自分は親切な人と思い込んでいても、実はおせっかいな人(ウザイ人)になっているかも、、というわけですね。きゃー!これも怖い、怖い。。
他人に注意する前に自分をチェックすべし
でも、でもですね。相手が間違っているとか、ネクタイが歪んでいるとか、そういった間違いを知らせることは、相手のためなので、どんどん言うべきだと思いませんか?
しかし森先生は、そうばかりでもない、とおっしゃるんですよ。
他人のネクタイの歪み1つを知らせてあげるにも、第一自分のネクタイが歪んでいないかと、まずは自分を顧みる必要がありましょう。
それというのも他人に注意しながら、逆に相手から注意されるようでは、まったく面目次第もないからです。
また自分のネクタイが仮に歪んでいないとしても、どういう言い方をしたら、相手の気持ちを傷つけないで知らせることができるか、それを考えてみねばなりますまい。
ああ、やはりまずは自分はどうなんだ?ということなんですね。。注意をしたときに「あなたもですよ」なんて返されたら、ホントカッコ悪いですもんねえ。また、言い方にも配慮が必要。修身って、とことん相手を考えた言動をするということが大切なんですね。
例えば、仲のよい友人が悩んでいる姿を見かねて、よかれと思っていろいろとアドバイスをしたのにまったく自分のアドバイスは聞いていない。一生懸命相手のことを考えて、親身になってアドバイスをしたのに、ひどい!あの時間は何だったの!?なんて思った経験、ありませんか?
こんな場合でも、森先生、こうおっしゃっています。
おせっかいというものは、なるほど自分には親切だと思っていても、その実それは自分ひとりの我流でやる場合が、少なくないということであります。
同時にそのような自分の我流の好みを押し付けておいて、相手が快く受け入れないからといって不快に思い、はなはだしきはその人の悪口まで言うに至っては、実際鼻つまみものと言ってよいでしょう。
きゃー!鼻つまみものだそうです。
確かに、相手がどう思うか、どのような選択をするかは、こちらが強制できるものではないですもんね。ついつい時間を割いてアドバイスをしたのに、その期待に添ってくれないと人間イラッとしてしまいますが、まさにそれはお門違い。
「あー、でしゃばりすぎてたんだわ」と逆に反省して、アドバイスをした際にもいい意味で相手に期待しない、ということが必要ですね。
おせっかいにならないためにはどうしらたよいのか。その為にはこうおっしゃっています。
当分の間、他人のことに対しては、一切くちばしを入れることを控えるのも、一つの工夫といえましょう。
人のことはほっておいて、まずは自分に集中しなさい!ということです。なぜそれが必要かというと
- おせっかいは、とかく他人のことばかり気にして、そのために肝心の自分自身がおろそかになりやすいから。
- 自分をほったらかしにしておいて、ただ他人の事にくつばしを入れているということは、修養上からは非常によくないから。
なんですね。さらにさらに、
修養上では、どこか利己的とさえ思われるほどに自己に集中して、己を修めることに全力を注ぐべきだと思うのです。
すなわち多少のよいことや親切なことでも、ここ当分の間は先方から求められず問われない事項については、かれこれ差し出口をするということはよほど慎重に考えるべきであって、いやしくもおせっかいとかでしゃばりなどどいうことにならぬよう、くれぐれも注意されることが望ましいと思います。
とのことでございます。
みなさま、自分を高めることに集中しましょう笑
今日はおせっかいについてみてきました。親切心とおせっかいの境目ってよくわからないものですが、ポイントは「我」
ひとりよがり。自分勝手の考え。自分本位の考え。で押し付けになっていないか、わが身を振り返ってみることが必要ですね。
そして、結局は、人の事をあれこれ気にせずに、自分のことに集中しなさい~!!でした。
おせっかいは礼儀・修養上から考えてもよほど深く慎むこと。と言われています。
また神様に愛される=人に愛されることでもあります。
ウザイなんていわれないようにいい意味で、自分を高めることに集中して、おせっかい撲滅に取組んでいきましょう!
ではでは今日はこの辺で。
次回は「質素の徳」。質素という言葉、現在では死語のようになっていますが、その良さについてお伝えしていきます。